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障害があっても [日記]

皆様、お元気でしょうか?

昨年度からパートで仕事を始めていたのですが、今年度から、仕事の時間が倍に増えて、余裕のない毎日を送っています。
そのおかげで、ブログからもすっかり遠ざかってしまいました。夏休みは少し時間が取れそうだから、ちょっと楽しい記事でも…と準備を始めていたところだったのですが、相模原の障害者施設で多数の入所者が殺傷されるという恐ろしい事件が起きてしまいました。

以前にも書いたことがあるかもしれませんが、私の姉は重度の知的障害者で、子どもの頃から入所施設でお世話になっています。今回事件が起きた施設は、詳しくはわかりませんが、おそらく姉がいる施設に近いものではないかと思います。

事件が起きた当初は、そのことを聞いても、身近なことだという実感が強く沸いてきませんでした。ニュースサイトで犯人の侵入経路を見て、ようやく、ほんとうに他人事ではないのだとはっきりわかったのです…。犯人は、女性たちの入所している棟から入り込んで、次々に多くの方に刃物をふるっていきました。施設は異なるけれど、ここで亡くなったのは、私の姉と同じような方なのだ、襲われたのが姉の施設だったとしたら、亡くなっていたのは姉だったかもしれないのだ、と、その事実が心に落ちてきたのです。

犯人の動機や、精神的な状況、麻薬と犯行との関係などは、これから更に捜査が進むことでしょう。
また、「様々な予兆があったのだから、警察や病院がしっかり連携して適切な対応をしていれば、防ぐことができたのではないか」とは、重大事件が起きる度に言われることですが、今回もそれを繰り返す結果になってしまい、日本では人の命が軽く見られているのではないかと憤りを感じます。

そんな中で、私が一番気になったのは、障害者は生きていても仕方がないとか、意思疎通ができないと犯人が考えていたらしいことです。
そんな考え方をする人が、どうやって教員免許を取得できたの? 大学ではちゃんと教育したの? この施設で働いていたくせに、入所者について、その程度の認識しか持てなかったの? …などという思いが、私の中から消えません。怒りという以前に「不思議」な感じがするのです。

重い知的障害がある人でも、その人なりに好きなものがあることは、見ていればすぐにわかるはずです。好きな遊び、好きな音楽、好きな食べ物、好きな服など、その人なりの好みやこだわりが見える場合があるでしょう。その人がどういう時に楽しそうにするか、どういう時に嫌がるか、一日をどう過ごしているかも、施設で働いていればわかるはずです。

身辺の自立ができていない重度の障害者のお世話をすることは、私が想像する以上に大変な仕事だと思います。忙しい重労働の中では、なかなか、ひとりひとりの入所者の内面にまでは思いが及ばないかもしれません。言葉が出ない人の場合は特に、何が言いたいのか、何をしたいのか、どうしてこういう行動をするのか、理解に苦しむことも多いだろうと思います。

でも、ていねいに観察し、考え続けることで、その人の気持ちを推測することができる場合もあるのです。入所者が示す小さなサインに気づき、小さな嬉しい出来事に職員が喜ぶ、そういう場面もあることでしょう。そういうことに気づけるセンスは、障害者だけではなく、広く人間というものを理解するために、必要なのではないでしょうか。

私の姉のことを、少しお話ししますね。
姉は、自分から言葉を発することはほとんどできませんが、こちらが話していることは簡単な事であればわかるようですし、多少ですが、動作で表現をすることもできます。お気に入りの絵本を見たり、童謡を聴くのが好きで、童謡のカセットテープを何回もかけてほしがります。

家に何本かあったカセットテープの中に、一曲目に「とんぼのめがね」二曲目に「ぞうさん」が入っているものがありました。このテープをかけてあげると、「とんぼのめがね」がかかった時点で、姉は「次は「ぞうさん」だ!」とわかって喜び、手をぶらぶらさせて、ぞうさんの様子を表現しながら、大好きな「ぞうさん」の歌がかかるのを楽しみに待っています。
私がとぼけて「あれぇ〜? 「ぞうさん」じゃないよ、「とんぼのめがね」じゃないの?」と言っても、姉はにこにこと余裕の笑みを見せながら、ぞうさんの動作を続けます。
次に「ぞうさん」の歌がかかると、姉は声を上げて喜びます。私も驚いた振りをして「ほんとうに「ぞうさん」だったね!」と一緒に喜びます。
このやりとりは、私と姉との間で、ひとつの冗談のように、何度か繰り返されました。些細なことですが、こんな小さな通じ合いが、家族にとってはとても嬉しい一時なのです。

以前に、障害者について書かれた本の中で、姉のことが取り上げられたことがありました。その部分を読んでみると、施設の中を歩き回る姉の様子が描かれていました。その著者には、姉はただ無言でずっと歩き回っているだけの、何を考えているかわからない人のように見えたようでした。私はそこを読んで「この人は、姉のことがなにもわかっていないんだな」と思ったのですが…。それは同時に「他人には、こんなふうに見えるんだ」ということでもあります。

私だって、姉以外の重度の障害のある方については、何を考えているんだろう、どんな行動に出るだろうと、ちょっと警戒してしまうことがあります。それはただ、相手がどんな人なのかを知らないだけなのですが…。健常者同士でも理解し合うのが難しいのですから、重度の障害のある人を理解するのに時間がかかるのは、当たり前なのかもしれません。

数年前、夫と子どもたちを連れて、姉のいる施設を訪れたことがあります。
その時に、まだ2歳くらいだった三男が、入所者の男性(50代くらい)のそばにあったおもちゃに手を伸ばし、その男性が何も言わずに見守ってくれていたことがありました。どういう経緯でそうなったのか、細かいことは残念ながら忘れてしまったのですが…。私にはその男性が、小さい子に自分のおもちゃを貸してくれようとしているように見えました。姉と同じように、言葉のほとんど出ないであろうその人のやさしさが見えたような気がして、とても印象深いできごとでした。

犯人がこの事件を起こすまでには、いくつかの要因があったのでしょうが、私には、自分自身の不満や不安などの個人的な葛藤を、抵抗できない人をはけ口にして、傷つけることで発散しようとしたようにしか見えません。障害者には価値がないと思いこむ背景には、障害者に関する認識不足や、障害者に接した経験の不足があるはずです。たとえ、精神に異常を来しての犯行だったとしても、「障害者にだってそれぞれの気持ちがあり、個性があり、成長があるのだ」ということを、犯人がしっかりと認識していれば、その知識が、彼を押しとどめる力になってくれたのではないかと…それが残念でなりません。

そんなことを言っても、自分は身近に障害のある人もいないし、障害のある人についてよく知らないし…という方は、たとえば、ろう重複障害を扱った漫画の『どんぐりの家』とか、読まれてみてはいかがでしょう。いい作品ですよ。ほんとうに。

私自身も、決して立派な人間ではありません。いろいろな人に対する差別心が自分の中にあり、時々それが顔を出すのを感じます。でもそれを、厳しく自分に問い直し、リセットしていかなければならないと思っています。
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止められないのか… [日記]

安保法案が、着々と成立に向けて進められていく。まともな話し合いもせずに、強行採決という最低の手段を平気で取れる大人たちには、呆れてものも言えない。安保法案が可決されれば、日本は他国での戦争に関与しやすくなり、他国からの攻撃の対象にもなりやすくなるだろう。そりゃあ、今国会議員をやっている人たちは老い先短くて、自分には関係ないと思うのかもしれないけれど、若い人たちには切実な問題だ。これから大きくなっていく子どもたちの時代に、日本が平和であり続けられるかどうか、どんどん怪しくなってきた。安倍首相以下の賛成派の国会議員もひどいが、国民がこんな国会議員を選んでいることが痛恨の極みである。彼らに投票した人たちは、痛切に反省すべきだと思う。どうすればこの法案の成立を止めることができるのか…。

あるラジオ番組のパーソナリティーが、「野党のやり方もどうかと思う。日本人ってどうしてああやって(「自民党感じ悪いよね」などのプラカードを掲げたりして)情緒に訴えることしかできないのか。もっと論理的に話し合えないのか。」と言っていたけれど、それは、そうなるようになっているのだ、と私は思う。日本人は論理的に考え、相手を上手に論破することに慣れていない。むしろ、情緒的に行動するように教育されているような気がする。

小学生の国語の教科書の音読を聞いていても、それを感じることがある。小学校の国語の教科書には、2年生か3年生くらいから、戦争をテーマにした作品が掲載されている。でも、どれも、戦争で飢えて死んだ子の話や、親が亡くなった話などで、「かわいそう」「戦争はやってはいけない」という思いは呼び起こしたとしても、「どうして戦争をしてしまったのか」「どうすれば避けることができるのか」ということには踏み込まない。もちろん、小学生にそんなことを求めるのは無理なのかもしれないが、先日読んだ中学1年生の国語の教科書でもそうだった。悲しさ、悲惨さ、同情、そういった感情は読み取れる。しかし、そういう事態を招かないためにどうすればいいのかを、私たちはどれだけ教育されたり、考えさせられる機会があっただろうか。

最近のアニメを見ていても、ひやっとすることが多い。ちゃんと内容を知らないのにこういうことを書くのは申し訳ないが、『進撃の巨人』は軍隊の話にしか思えないし、『弱虫ペダル』はスポーツものだけど、先輩のオーダーに絶対服従というところが恐ろしく感じた。戦艦を美少女に擬人化したゲームや、自衛隊が主人公のアニメもあるようだ。なぜわざわざそれを題材にしなければいけないのだろうか。それらの作品が直接、戦争賛美をしていなくても、戦争や軍隊というものに対しての親和性を育ててしまうのではないか、と不安に駆られる。殺し合いや恐ろしいシーンの多いアニメや漫画が目立つことも気になる。
こういうアニメや漫画を見て育った世代が、18歳から選挙権を得ることになるのだ。若い人を上手に騙して、戦争をやれる国になるように、政権に賛成する国民を育てようという、現政権の思惑があるのでは…と勘ぐらずにはいられない。

太平洋戦争の頃、日本では『講談社の絵本』というシリーズが刊行されていた。このシリーズの中には、戦争を直接賛美するような内容のものが何冊もある。あのきなくささは、絵本を直接見なければ伝わらないかもしれないが、その絵本の持っている怖さと、今の時代のアニメや漫画が私には重なって見えてくる。
戦争を体験した世代の、手塚治虫、水木しげる、加古里子、やなせたかしなどは、戦後、「戦争は絶対にやってはいけない」という固い決意のもとに作品を産み出してきたはずだ。その下の世代の作家たちは、どれだけそういう意志を受け継ぐことができたのだろうか。

日中にやっているワイドショーも、たまに見ると「ひどい」と思う。社会問題を取り上げても、上辺だけの浅薄なことしか言わない。主婦や高齢者は相当バカにされているのだとしか思えない。考えない国民になるように、考えることのできない国民になるように、私たちは日々仕向けられ、知らず知らずのうちに教育されているのではないだろうか。

私は政治に関して知識はないけれど、第一次安倍政権の時にも、怖さを感じた。安倍首相は何をやりたいのか、何を考えているのかわからない。考える力があるのかどうかもわからない。首のない巨人が、日本中を踏みにじって歩いているように思えた。この人は、日本をどこへ引きずっていってしまうのだろう。そんな恐ろしさを感じさせた政権だった。まさか、その人が再び政権を取るとは思わなかった。
倒すべき巨人は、アニメの中にいるのではない。他ならぬ日本の中心部にいるのだ…。
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レゴで漢字 [日記]

5月11日の夜のことです。
三男が、レゴブロックをテーブルの上に並べました。
三男「みて! 『い』!」
長女「?」
私「『言う』の『い』だね。」
長女「これ、細いから、ごんべんじゃない?」
三男は作ったものを動かして、長女が見やすい向きに直しました。
長女「ごんべんだね。」

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